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Koji Hashimoto | Osaka univ. | Japan

Read Bio

科学者を展示する.

Tuesday, April 23rd, 2013

f:id:D-brane:20130422113439p:image:right

 

2013年4月20日、いよいよその「実験」を世に試す時がやって来た.理研の一般公開.理論物理学研究者そのものを展示する、という試みである.

展示中.「うぉーすげぇ、わけ分からん数式書いて英語でしゃべってる」「ひょえー、なにこれ」「科学者って必殺ワザ持ってるん?」「これカッコいいねぇ」「ぼくも黒板でさんすうするー」「がちガリレオ!?」

なぜこんな試みをしたか、少しその理由と顛末を書いてみよう.

通常、どこの研究所の一般公開へ行っても、科学の成果を分かり易く説明するコーナーがあふれている.子供をとりこにするような工夫があったり、大人を惹き付けるような仕組みがあったり.研究者も広報部も大変な努力を払って、世間の方々に科学の仕組みや効用を理解してもらいまた訴えている.僕はこのやり方に、かねてから少し、感覚的に疑問を持っていた.

その疑問の理由が明確になったのは、去年の一般公開の時である.僕は、延與放射線研究室の展示のお手伝いとして、対称性の破れを磁石で実演するコーナーを担当していた.小学校低学年の子供がやって来て、磁石をぐるぐる回して遊んだ後、握手を求めて来たのだった.そばに居た親が、「科学者と握手できるのよ、ほら、行きなさい」と、シャイな子供をこちらに誘導していた.恥ずかしそうに小さな小さな手を出したその子は、僕と握手をして、そして、目が輝いた.

僕は不思議な気持ちになった.科学のアウトリーチというのは、「科学って面白いでしょ、ほらこんなに役に立っているでしょ、素晴らしいでしょ」ということを説明する場所だと思っていた.しかし、例えば僕の研究の「超ひも理論」の場合、説明を聞いた人の反応は、眉間にしわを寄せ、「なんだか難しいことをやっているのですね」「物理苦手なので」がほとんどである.宇宙や素粒子に興味を持って来た人も、「へー、そうなんですか、分かっていないことばかりなのですね」という感じである.ところが、それが子供の場合、僕が科学者であるということがまず信じられないほどびっくりすることで、それで握手をする、という人間同士のふれあいが出来るということがまさに感動を呼んでいたのだ.僕は、子供と握手をした時に自分も感動を覚え、科学者をやっていて良かったと心から思った.

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そこでふと気付いたのである.科学者を展示してはどうか、と.科学の成果を知ってもらうだけでなく、本当の科学を創っているまさにその過程を知ってもらうのは、どうか.

理科離れとか科学立国復活とか、世間では色々という.科学と人間をつなぐものは何だろう.自分の人生を振り返ってみると、そこには科学そのものではなく科学者がいた.たいそうなものではない、人並みの経験である.アインシュタインのことをNHKの番組で知って興奮したり、「ホーキング宇宙を語る」で車いすのホーキングが凄いことをやっているらしいとびっくりしたり、高校の物理や化学の先生がひょうきんでとても楽しい授業だったり、大学に入って宿泊研修の夜に話した物理の先生の話にすごく感銘を受けたり.科学の内容は覚えていない.ただ、どんな人に(テレビであれ実際であれ)出会って、すごくエキサイトしたかと言うのは克明に覚えている.この経験こそが、科学のアウトリーチに欠けているのではないか、と理解したのだ.

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科学を分かってもらうと同時に、科学者を分かってもらう.人間として科学者が、近所のおっさんと同じように生活をし、ただ科学に没頭して研究成果を出すために人生を賭けている、その事実を展示すべきだ.それが、国民に科学に愛着を持ってもらう近道だ.そう信じるに至った.

目的を実現するための絶好の機会が、理研の一般公開だった.科学に興味を持つ人たちが何千人もやってくるイベント.うちの研究室では、敢えて、科学の説明のための準備は全く行わない、という極端な手法をとった.なぜならこの企画は「実験」だからである.科学には、極限状況を試すことで実際の自然をより深く理解するという手法がある.その教えに従うまでである.

果たして、それは成功だった.もちろん失敗した側面はいくつもある.しかし、科学者が実際に科学を生み出している現場を目にした来乗客の反応は、僕の想像を超えていた.前日までは、まあ30人くらいに見ていただければ最初の試みとしては良いかな、という予想をしていた.ところが、当日は千人ほどの方々に来場してもらい、何時間もそこにとどまって科学者の行動を眺め楽しむ人もいたのである.数々の驚きの声と感想を戴いた.

昨年、自分という理論研究者が研究をしている様子を動画にしてyoutubeに公開してみたのだが、それは最終的にはこの展示のためでもあった.科学は創作活動であり、中身を全部理解できなくても、それを人間として感じることが出来る.芸術と共通の側面を持ち合わせている.youtube動画ではまずそれを、世に問うてみたかったのである.例えば、書道は芸術だが、作品を見るだけでなく、書道家が大きな紙の上で大きな筆を持ち書道の実技をするというパフォーマンスも良くテレビで見るだろう.しかし、科学者がどうやって科学を生み出しているかという様子、特に理論物理の研究者がどうやって科学を創っているのかという様子を公開する、というのは聞いたことが無い.その一方で、朝永振一郎が研究室で楽しそうに物理の議論をしている白黒写真が、科学者としての自分の心に焼き付いている.書道において書道家が実演をするように、科学において科学者が実演をし、それを観客に見てもらうことを、科学者はなぜやらないのだろう.書道家が人間として認知されるからこそ書道が愛されるという側面もあるわけで、科学に愛着を持つ国民を増やし将来の科学者を育てるためには、この側面こそ探求してみる価値が多いにある.

A scientist’s life – condensed

Youtubeは制作者から観客への一方的な流れなので、科学が創られているその一部をテレビ的に流しているだけである.やはり実物が実演しているところを見ていただくのが最も効果的で直接的である.それが、どんなものであれ、またどんな感情をもたらすものであれ、科学が人間の生み出したものであるということを、科学者でない人に最も単純に「感じて」もらうのは、科学を創っている現場を見てもらうことである.こういう理由で、理研の一般公開という最大の機会を利用して、このような展示を開催することにした.

 

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展示内容は単純である.1時間交代で、研究室の若手研究者に、毎日の研究者の議論風景をそのまま(前の日の続きで)黒板で披露してもらう.メインはこれだけである.科学の説明は付けず、議論している研究者の名前と、それぞれの必殺ワザ(カタカナで専門用語.「リサメーション」とか「ホログラフィー」とか「ニュークリアフォース」とか)を表示したパワポをiMacで表示.その横に黄色い理研のジャンバーを着た説明員に立ってもらう(これも研究者の回り持ち).質問をし易いように、説明員から声をかけたりする.

その他の展示は少しだけである.遠くから展示が目につき易いように、研究室入り口のすぐ外に大型テレビで、Youtubeの動画をループで大音量で流しておく.入口には、理論研究者の生態を感覚的に述べたスライドをループで流しておく.入り口そばの机で、僕が座って一日数式の計算をしている.観客は、(動画)→(スライド)→(計算する科学者の展示)→(議論風景の展示) の順に自然と誘導される.

なんと、あるセッションでは、実技の議論をしていた研究者が1時間の議論の後「論文ができました」宣言をした.これはなんとも僕の予想を遥かに超えていた.本当に、観客の目の前で、一つの科学が誕生したのである.

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来て下さった方のお話は様々だった.「私は会計関係の仕事をしていますが、科学者と同じような感覚もあるのだということを知って驚きました」「大学生の息子が研究者を目指すと言っていたのですが、息子が何をやりたいか分かった気がしました」まさにご自身と科学者を重ね合わせていらっしゃったのである.「式を書いているのに式に数字が無いのはなぜですか」「計算にゴールとノルマはあるのですか」「なぜ外国人がいて英語でしゃべるんですか」科学の内容について、手法について、次々と質問が来る.感動させるコメントがあった:「科学は芸術ですね」

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予想以上にたくさんの方に来場いただき、感動してもらって、科学にさらに関心を持ってもらえたという意味で、開催して良かったと思っている.一方、反省点はいくつもある.例えば、科学に興味を持ってもらったその後のフォローアップをやはりやっておかねばならない.今回は極み実験だったのでそれを完全に排したが、やはり、観客に興味を持ってもらったらその後に、もっと知ることが出来る方法なり解説を観客にお伝えするべきだった.twitter/facebook連動や一般公開の他の企画と連動した方が良い.また、この展示だけが理論研究者の全てではなく、世の中にはもっともっと多種多様な理論屋がいて様々なやり方の議論がある、ということも明示するべきだった.もちろん、つまらないと言って通り過ぎる方々もたくさんいたが、それは理解できる.期待していたことと違ってがっかりしたのだろう.僕は、この試みは美術館と同じで、そういう人たちは、一般公開のどこか他の場所、心にしみる作品の前で立ち止まってそれを鑑賞してもらえればそれで良いと思っている.

実演開催中.

「理論の研究者って、こんな風に議論して式を書いて研究してるのねぇ」

この一言が、心にしみた.

 

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Science is art.

Tuesday, September 25th, 2012

A scientist’s life – condensed

科学のアウトリーチの王道は、もちろん、最先端の科学を分かり易く伝えることである.そのことは、理研の一般公開や、様々な一般講演で良ーく身に染みて理解してきたつもりだ.しかし、ちょっと違うんやないか、と思う面がある.

科学というのはそもそも芸術に近いところがあって、僕自身も芸術を創り出しているというイメージで科学をやっている.そういうと怒る人も居るかもしれない.科学は人間の生活に役に立つからこそ科学なのであって、そのために税金出しているんや、と.しかし、人の役に立つために全ての科学が生み出されるというと、それはとんでもなく間違っている.科学は自然すなわちこの世界を理解しようとする試みなのである.自然は美しい(はずであり)、その美しく秘められたものを掘り起こすという作業が、科学そのものなのである.

科学が芸術であるという議論はずっと昔からある.例えばチャンドラセカールの名著もその1つに過ぎない.まあそんな古びたものを持ち出さなくても、自分也の芸術というものを突き詰めているのがそれぞれの研究者なのだから、それでいいのである.しかし、アウトリーチという観点で見ると、科学のアウトリーチにおいては、ちょっと違った芸術的アウトリーチがもっとあっていいように思う.

で、夏休みの自由研究に、芸術作品を作ってみました.

ここでは、科学の内容は一切触れないことが原則.ただただ、理論科学者が黒板に向かって計算をしていることをひたすら見ていただく.ただただ机に座って数式を書いているところを見ていただく.それが、素晴らしい芸術になりうるということを、僕は確信を持った.

黒板は美しい.これは科学者だけの想いであると信じていたのだけれど、実はそうではないらしいということを最近知った.これはひょんなfacebook+twitter経由の飲み会からだったのだけれど、まったく、数式+黒板の美しさを理解してくださる方々の裾野は広いようだった.しかも、科学は芸術活動であるということを理解してくださる芸術家も多いことに気がついた.

で、夏休みの自由研究は、それを人間の営みという形にして、動画として世に出す、しかもアップテンポの音楽、自分の頭の中に研究の時に流れているような脈動感、を載せて.この自由研究は、仁科センターの宮内さんというカメラの方のご協力で、三日で完成した.素晴らしい.思った通りの動画が出来上がった.僕のプロモーションビデオみたいになっているけど.

その動画で黒板に書かれている内容は、その時に僕が一番頭の中に溜め込んでいた研究内容.しかしそのことをここに書くことはするまい.だって、科学の内容を説明せずに、数式と研究をそのまま見せることが目的だから.でもちょっとだけ書いておくと、黒板の内容は、昨日アーカイブに出した論文(衛藤くんと初田さんとの共同研究)に基づいてます.あたかも動画では一人で研究したように見えるけど、実際はお二人との一年にわたるディスカッションに基づいて完成した内容.今度動画を作るとしたら、共同研究の動画を作ってみたい.

科学と芸術、どう思いますか?

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イギリスの重い雲の下で.

Sunday, May 6th, 2012

朝日が照らすイギリス東部の田園風景の中を、高速鉄道がロンドン、King’s Cross駅に向けて疾走している.まずいパニーニをほおばり、まずいコーヒーをすすりながら、幸せな時間である.

イギリス滞在は六日間だった.ケンブリッジ大学のニュートン研究所と、ダラム大学に呼ばれて、短い間だったが二度講演をした.旧友に会い、新しい人に会い、議論をするのは、全く楽しい.来て良かった.

物理というのは世界共通の言語なので、まったく初めて会った人とも、すぐに非常に深いところまで会話が出来るところが魅力の一つだ.僕はこれにいつも魅惑されながら過ごして来たように思う.友人でもそうでなくとも、物理の興味が近ければ、話し始めればすぐに、その人がどこまで深く考えたか、思索の道筋がどんなだったか、どんな風にそれを楽しんだか、が、手に取るように分かる.それが、日本人でもイギリス人でも、イラン人でも、会って話せば、まるで身体的な感触のように伝わるのである.生まれも育ちも文化も伝統も生活も人生も全く異なる人と会って、話すだけですぐにその人の貴重な財産について深い思索の底に一緒に降りて行ける、ということは、何物にも代えがたい魅力である.これが、自分の人生の糧になっている.

ダラム大学にお邪魔するのは初めてだったのだけれど、Mantonとソリトンの本を書いたSutcliffeや、Wardがいる大学なので、ソリトン好きな人間としてわくわくしていた.Sutcliffeには今までお会いしたことが無かったが、会ってすぐに、BPS solitonのtopological numberが多いときのsizeについて、激論を交わす.互いの主張が矛盾するように見えたので、かなりエキサイトした.しかし結局最後は、一件矛盾するような話のどこに原因があったのか特定出来て、お互いニヤニヤ.で、まだ出版していない研究のことなどを議論する.会ってから3時間.まったくお互いの文化や育ちや人生を話さないうちに、これまで何年もお互いに考えて来たことをぶつけ合うことが出来る.これがまさに、理論物理の醍醐味.

ケンブリッジに住んだのはもう6年前になる.日本を発ち、ヒースロー空港からのろのろと鉄道に乗り、ケンブリッジの宿舎のベッドに入り込む.次の朝、ニュートン研究所に到着してすぐ、研究所の芝生の匂いが、6年前の頃のことをはっきりと、しかもまざまざと、思い起こさせた.生活や研究、いろいろ辛かったことが思い起こされた.あれから6年になる.僕はその間何をやったんだろう、そう思って、自分の論文を眺め直したりしてみた.当時の日記を読み直したりしてみた.

なんとなく空しくなった.イギリスの典型的な、陰鬱な空に押しつぶされそうになった.家族や研究室から離れて一週間、地球の裏側に来たけれど、それは何のためだったのだろう、と感じた.呼ばれたら断らないというポリシーを貫くことに何の意味があるのだろうと思った.

けどね、しばらくして、研究所に続々と人が集まって来たとき、懐かしい顔がたくさん目についた.PaulやNick、Ki-MyeongやSungjay、DavidやDavid.議論をする.さっきの空しさは消し飛んでいた.

理論物理の研究の魅力には二つある.一つは、こうやって世界のあらゆる研究者と、議論をし思索を戦わせ、深い交流が生まれること.世界を探検する秘密の合い言葉を共有しているような.もう一つは、一人だけでどこまでも深く思索に耽り、ノート百ページの計算に没入して恍惚とすること.この二つの魅力が、僕の人生を決定的に決定している.

日々のしょーもない雑用から離れることは重要や.人生を確認する.

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物理学会と異分野交流.

Tuesday, April 3rd, 2012

物理学会の年会が終わり、ほっと一息ついている帰路の新幹線の車内である.

学会では、午前と午後のセッションをそれぞれ1セッションとすると素粒子論領域で7セッションあったのだが、素粒子論の部屋に座ったのは結局そのうち3セッションだけだった.残りは他の領域をうろうろ.物性の領域1(量子エレクトロニクス)、領域5(光誘起相転移)、領域8(強相関電子系)や、理論核物理、宇宙物理などのシンポをはしごする.面白いものもあればまったく言葉がわからないセッションも.楽しい.

新幹線に乗って、なんだか寂しい気分になったのは、素粒子論のセッションに座っていた時間が少なかったせいか、友人たちと会って議論したりする時間が少なかったからかもしれない.夜は素粒子論委員会と素粒子論懇談会、無事委員長の一年が終わったのも、ホッとしたのかもしれない.物性のセッションに行って、新材料とかまったく分からずポツンと過ごしたのが思い出されて俺なにやってんねんやろなと思ったのかもしれない.

なにしか学会が終わって、今年度が終わって、なんとなくまた日記を書く気分になって、新幹線で久しぶりに書いてみることにしている.久しぶりと言えば、この3ヶ月、日記を書かなかったのだが、それも研究に没頭していたからだ.今日、その成果の論文を二つ出した.

一つ目は飯塚君との共著で、超弦理論を物性に応用する話.ランダウのフェルミ流体で成り立つラッティンジャーの定理(フェルミ面の囲う体積が荷電密度に比例するという関係式)を、重力理論に等価に写したときに、どの程度ユニバーサリティがあるのかを調べた.フェルミ面の重要な性質が高次元重力におけるガウスの法則で表される.面白すぎるよね.

二つ目は飯塚君と格子QCDの青木慎也さんとの共著で、超弦理論を原子核理論に応用する話.フレーバーが3以上の量子色力学を等価な重力理論に写し、バリオンにユニバーサルに斥力芯が存在するということを示した.中性子星の中心の物理に貢献できるかもしれない.この論文には、非専門家向けの長いレビューを付けた.超弦理論によるクォークの力学の計算に興味を持つ方にぜひ見ていただきたく思っている.

いずれも様々な議論や計算が思い起こされ、それが今日、世に出たのは、大変嬉しい.で、ホッとしている.読んでやってください.

以前は学会に参加しながらプログラムに面白かった講演の講評を自分で書き込んだりしていたものだが、結局学会から帰って来てそれを見直したりはあまりしないので、自己満足に陥っていたことに気付いた.で、今回は、ノート1ページに、今後研究になりそうなタネだけをメモしてみた.さて、それがどれだけ育つかな.学会や研究会は、自分の研究成果を議論するためだけのものではなく、タネを見つけるためのものでもある.今回は少しタネが出来たので、それで良かったことにする.安心してしまわないようにせねば.

新材料のシンポを聞いていて、良くわかった.自分の興味はここに集まっている人たちの興味の方向と直交している.ツライ.だからこそ聞きに行って良かった.僕の物理を掘り下げるということは、他の人の物理を知り、直交する方向に掘ることだ.

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数理連携10の根本問題の発掘.

Tuesday, April 3rd, 2012

こんなタイトルの研究会を年末に主催した.本当のところを言うと、成功するとは思っていなかった.オーガナイザーがそんなんゆうたらほんまあかんけど、でも、実のところ、うまくいかないと思っていた.

ところが.この研究会のなんと楽しかったことか.ほんまに、全く予想外やった.これは、研究会に参加して下さって議論を盛り上げて下さった皆様、そして、講演者の皆様、のおかげである.心より感謝している.

そもそもこの研究会を作ろうとなったきっかけは、ひょんなところだった.文科省と数理連携でやろうということになった時に、せっかくやるんやから、実験的な企画、しかも、誰もやったことのないような企画、そして、失敗してもいいような企画、やってみて良かったと思えるような企画、にしようということで、オーガナイザーの津田さんと小谷さんと盛り上がった.そうせな、やりがいも無い.補助金がらみの研究会が全国で多発して、研究者がそのオーガナイズに疲弊している昨今に、よけいな研究会なんて、まったく必要ない.しかし、全く新しい形の研究会なら、やってみたい.失敗してもいいから、やってみる、その言葉が、気分を軽くしてくれた.

「10の根本問題の発掘」って、えらく仰々しい.根本問題というところが、大上段に構えている.けど、実のところ、1個でも出てくればほんまにもうけもんやと思っていた.根本問題なんて、かなり難しい.人生をかけられるような問題を根本問題というなら、研究者はそれを求めて人生をかけて研究している訳で、そんな問題が、たった4日の研究会で出てくるなんて奇跡に近いように思えた.

しかし、オーガナイザーを中心として、招待講演者に招待議論者、総勢30名近い、エキスパート中のエキスパートが集結することになった.数学者、物理学者、生物学者、脳科学者.議論好きな方々に特に集まってもらい、議論から生まれるアイデアや考え方を成果とする研究会とした.

そうそうたるメンバーで開幕した初日、数学者の荒井さんの一言が僕の胸を刺した.「根本問題なんて無限にあるんです.」そう、大事なのは、難しい問題を考えることではなく、数学と諸分野の間にすっぽりとはまり両者の研究者の頭を刺激し、その問題が解けることによって科学に多大な影響があるような問題、そういう問題なのである.難しい問題なんて無限にある.けれども、重要な問い方というのは、なかなか出てくるものではない.講演者のうち、大栗さんもそのように発言されていた.

講演は30分用のスライドをお願いし、実際の講演時間は1時間20分.その長さに講演者の方々は当惑していたが、しかし、ふたを開けてみると、様々な質問や議論が飛び交い、座長が議論を静止しなければいけない事態がたびたび.分野外の聴衆に話す前提で講演を構成していただいたため、初歩的なところの議論からスタートし、分野の言葉が違うところから来るすれ違いも多々あった.しかし時間を忘れるほどの議論の濃密さで、楽しい時間はあっという間に過ぎていった.脳科学者、数学者、物理学者、生物学者が、こんな風に時間を一緒に過ごすような研究会は、初めてだったに違いない.

参加者の一人が、「あー、おれこんな研究会を開催したかったんすよ」とポロッと言ってくれたのが、オーガナイザーへの最高の賛辞だった.講演者の方々からいただいたスライドから、根本問題の発掘を、オーガナイザーなりにやってみている.結果は公開して、参加者や講演者のみなさまの意見を募り、今後に生かしたいと考えている.

今回の研究会を振り返ると、やはり、研究会とは話を聞く場ではなく、話を元に議論をする場でないと、楽しくないということである.分野外の話を議論のレベルまで持っていくには、講演者の力量が問われ、その意味では、今回は講演者の方々のご努力でここまで議論ができるような研究会になったのは明らかである.招待議論者(core discussant)という形で、議論をしていただける方を招待したことも良かったかもしれない.とにかく、分かりやすい話、そして、議論、である.普段の研究の延長線上にこのような異分野交流の研究会が連続的につながったのは、奇跡に思えた.

研究会が終了した年末12月29日.部屋を片付け終わって、ドアを閉めようとする時、この部屋のドアを閉めたくない衝動に駆られた.この部屋でついさっきまで四日間、すばらしい科学者たちが思い思いの議論に熱を上げていたことが、信じられない感じだった.で、ドアを閉めて電気を消すのをやめて、講演者側のところに一つ椅子を持っていき、ひとり、広い会場に座ってみた.すると、いろんな議論が目の前によみがえってきた.すばらしい講演、鋭い質問、聴衆の間で戦わされる議論.何とも表現のしようもない、とてもとても贅沢な空気の中に、僕は一人座っていた.科学者をやっていて良かった、と思える瞬間だった.

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Visiting Vietnam

Monday, December 19th, 2011

ビーチに打ち寄せる波の音を聞きながら、ゆっくりと30年前の論文を読んでいる.こんなのはサンタバーバラでポスドクをしていたとき以来なんちゃうやろか.

ここはベトナムのQui Nhonという街で、日本から一日半かけてやって来た.Elastic and Diffractive Scattering という会議で、そもそも僕の研究からはちょっと遠いのだが、non-perturbative QCDと言えば僕の研究分野な訳で、それでオーガナイザーの方に呼んでもらって、端っこで座っている.実験の話が半分以上なので、基礎的な言葉がわからず、また分かるつもりも薄く、何とものんびりと興味のある講演だけ聞きに行くという贅沢な時間の過ごし方をしている.スケジュールの中には理論セッションもあり、そこは楽しい.明日はchairをするし、明後日は自分の講演がある.

自分がベトナムに来ることなんて、想像もしていなかったし、またこれからもあるのかどうかすら分からない.ホーチミンでの飛行機の乗り継ぎが23時間という悲惨なものだったので、ホーチミンで一泊せざるを得なかったのだが、こういう機会だからと戦争証跡博物館を訪ねてみる.閉館30分前だったが、やはり行っておくべきかと思って.すると驚いたのは、この博物館にはアメリカ人が多く訪ねて来ていることだった.確か韓国で戦争の博物館を訪ねたときには、日本人なんて誰もおらず、韓国人の小学生が大挙して見学していた.ここホーチミンはそうではなく、このあたりが政治や国民性が見え隠れするところかも知れない.現地で見ないと分からない、感情がうずまく.今までそんなことを何度も経験して来た.

Qui Nhonの現地の最寄り空港には、ホテルの歓迎が待ち受けていた.花の首飾りをかけてもらったの、初めて.で、バスに乗り込んでホテルに向かうのだが、中途に通る村があまりに前近代的なので驚く.電気もろくに通っていないような暗い村に、笠地蔵の話に出てくるような笠をかぶった現地の人々が、自分の背の高さより高い荷物を載せて、バイクや自転車で往来する.トタン屋根に、水たまりばかりの泥だらけの道.ベトナム戦争のアメリカ映画で見たような村の光景がそこには広がっていた.ほんまはアジアはこんなところがほとんどなんや、という、多分当たり前の事実が眼前に展開されて、言葉が無かった.広がる水田やその向こうの山々は見慣れた風景ではあったが、日本の僕の知る田園風景との違いがよけいに際立って見えた.

近代的なホテルに到着すると、どうやら他の研究会も同時に開催するらしいことが、垂れ幕で理解された.不思議な感覚である.近いけれどもこんなに遠いところまで来て、知っている人たちと偶然に再会する.静かに一週間過ごそうと思って来たが、他にも研究会があってそちらにも知人友人の講演が並んでいると、ついついそちらにも出たくなってしまう.それにしても静かに部屋で波の音を聞きながら研究が出来るのは素晴らしい.インターネットが、遅いなりにも割と使えるので、論文を参照するにも不便が無い.けれども研究以外の仕事がひっきりなしにやってくるのに対応しなくてはいけないのは、インターネットの弊害である.こんなベトナムの田舎まで来て、こうやって日記をすぐにアップできるのも変なものである.それにtwitterを通じて、いつもおしゃべりしている人たちの会話をそのままここに持って来れるのも、不思議な感覚である.ベトナムの波の音が、湘南の波の音と一瞬聞き間違えるかのごとく.

せっかくいろんな会議をサボらせてもらってベトナムまで来ているのだから、30年前の論文の続きをゆっくり読もう.打ち寄せる波を見ながら論文を読むのは、本当にポスドクのとき以来だ.波の音は、悠久のときの流れを感じさせるだけでなくて、10年前の自分に一瞬で連れ戻す効果があるらしい.

物理をのんびりやろう.嬉しい.

 

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ヒッグス粒子の探索:神と握手、なるか?

Wednesday, December 14th, 2011

スカイライナーが、朝日が昇る前の東京から滑るように逃げて行く.

昨夜はヒグス(ヒッグスっていうのが世間ではスタンダードかな)のCERNセミナをweb中継で観た.データの最終図を見ると、秋からさらにぐぐっと線が下に押しやられ、まさに除外領域がどんどん増えているのが実感できる.で、ATLASとCMSの両方が同じ125GeV近傍を指し示していそうなところがまた示唆的で、ドキドキする.今年の大きなクリスマスプレゼントは、まだ幾千もの素粒子模型を死滅させる決定力は無かった.けれども、今年のLHCの大活躍を目にした誰もが、このままLHCが順調に走れば、来年のヒグス発見を疑わないだろう.

CERN中継が世間を騒がせていると言えば、秋のニュートリノ光速超えのニュースだろう.パリティ2月号掲載予定でちょっとだけ編集委員として僕も書かせてもらったが、実験で確定するというのはとっても難しいことなのだ.今回のヒグス発見へのATLAS/CMSの努力と、ニュートリノ光速超えのOPERA実験とを同列で比較するときっと実験の人に怒られるが、それにしても、ものすごい数のデータから物理を引き出して「確定」するというのは並大抵のことではない.ヒグス粒子の存在が98.9パーセント確実、という言葉が新聞に踊っているが、それは素粒子物理学的にはまだまだ「発見」では無いのだ.今までの実験の歴史で、99.9パーセント確実なものが、更に良く調べてみると実はありませんでした、なんてことは何度でもあった.

それにしてもLHCの巨大実験のスケールときたら、すごいよね.大学時代に学生実験で、一年をかけて実験を企画から作る経験をしたわけだが、その経験と現在のLHCの巨大実験が連続的に実はつながっているなんて、信じようとしてもなかなか実感できない.それほど、巨大だ.そんな精緻かつ巨大な素粒子実験にはいつもやきもきさせられるが、自然の本当の姿を見るというのは、大変な努力がいることなのだ.LHCも計画から既に数十年、目標の達成を目前にして、関わる人全てが心血を注いでいる.素粒子理論屋の一人としてエールを送るとともに、来年に来るはずの素晴らしい発見を心待ちにしたい.

ヒグス粒子のような基礎科学用語がインターネット上をこれだけ飛び交い、新聞にも大きく掲載されるというのは、科学者の端くれとしてほんとうに嬉しいことだ.この世界の最も小さい構成要素がどうなっているんだろう、という不朽の問いの答へ向け、人類が前進している、その事実が世間で言葉にされて話されている、それほど素晴らしいことは無い.この一週間は、素粒子業界ではない人に会うごとに「ヒッグスはどうなんですか」と聞かれたのだが、それだけ世間の関心が高いのは珍しい.ヒッグスの前に見つかった素粒子はトップクォークで、それは僕が大学4年の時だった.素粒子業界に入る前だったので、それがどのくらい業界内で騒がれたのかは知らない.当時、ある朝の新聞のトップ記事に大きく踊る「トップクォーク発見」の文字に、ものすごく興奮したのを思い出す.素粒子ってすごい、と全く単純に感動した大学生の自分がいた.今回のヒッグスの話も、きっと日本の科学を底上げする大きな力になる.

 

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Science Live Show “Universe”

Wednesday, August 3rd, 2011

ふー、サイエンスライブショー「ユニバース」にゲスト出演.

あらら、お父さんお母さん、口開けて寝てるやん.

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科学技術館のサイエンスライブショー「ユニバース」に、ゲスト科学者として出演してきた.10分ほどの時間で、研究している内容などを聴衆に説明するコーナー.聴衆には、なんと1歳の赤ちゃんからおじいさんまで.一階で同時開催されているイベントのため、出演した日には聴衆は小学生、中学生、高校生が多い.

それにしても小学生に、パワーポイントのスライドで科学を説明するというのは、困難を極める.「ユニバース」が上演されている科学技術館のシンラドームは3Dの映像の楽しさを伝えてくれる.東京の星空、そして太陽系から、宇宙の大規模構造まで、「みたか」は3Dでぐるぐると自由自在に見せてくれる.聴衆から歓声が上がる.「うわぁー!」3Dの宇宙ステーションが目の前に迫り、触れるのではと空中に手を伸ばす子供たち.その興奮のコーナーの後に、ゲストコーナーだ.うーん!!

司会の大朝さんのおかげで、なんとかお話を最後まで乗り切った感じ.口をぽかんと開けて真剣に聴いてくれる子もいれば、親子で完全に睡眠モードに入っている、なーんてのも.いいんですよ~、僕もプラネタリウムで暗くなって寝ちゃったことあるし...って自分を励ましたりして.

実は、当日の朝に、小学二年生の娘を前に練習してみたのだが、本番はそう甘くはないわけで.自分なりに、ふりがなをふったりドラえもんを入れたり、パワポの動画を出来るだけ使ったり、小学生を対象と考えた脚本書いたり、いろいろやってはみたのだが、聴衆の目は厳しい~!!科学の一端を感じてくださった方がいれば、それだけで満足.果たしてどうだったかな.

司会の方と、後ろでソフトウェアを操作している学生さんたちの連携の素晴らしいこと.宇宙って、広くて、そして分かっていないことがたくさんあるんだなあ、ということが、3Dの授業で肌身で感じられる仕掛けになっていて、関心しきりでした.こんなプロジェクトを立ち上げた方々も凄い.

ゲスト科学者、なんていう肩書きでかっこ良く登場させてもらったが、なかなか力至らず.でも、貴重な機会を楽しませてもらいました.科学技術館と「ユニバース」のスタッフの皆様、大朝さん、ありがとうございました.

 

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Under the sky, Paris.

Thursday, June 16th, 2011

体調が優れないまま成田から発ち、パリの街に降り立った.外国出張するときにはいつも、心が興奮状態になるものだが、今回は違って、少し沈んでいた.いや、沈んでいたというより、なんと言うか、ホッとしていた.なんでホッとしているんやろ、と機内で振り返ってみた.答えは明らかで、今週やらなくてはいけないことが一つしか無い、という明らかな事実が自分をホッとさせているのだった.

日常の業務から解放されるというのは、研究者にとって命綱であることが眼前で明らかになった気がした.今回の出張と重なっている業務や会議がたくさんあるが、それは全て、申し訳ないと思いながらも代理の方にお願いしたり、そのために調整したり.家族を含めいろんな人に無理を言って、一週間の時間を作った.その一週間がようやく始まると悟り、機内でホッとしたのだった.

自分の今までの日記を見ていると分かるが、何度も繰り返し、もやもやした頭の状態を如何に作り出し継続させて、研究の方向性を創出するか、を大事にしている.日常業務に阻まれて出来ないのは、このもやもやした時間をつくることだ.答えをあえて出さずに、答えが自然と出てくるようにする.それは、日常業務で瞬時に判断を迫られるのとは全く逆である.

貴重な一週間をどう過ごすか.幸い、自分がチェアをするセッションは今日という研究会初日で終わる.また、自分の講演は木曜日で、講演のドラフトも完成した.今週は、実験の最新の結果を、頭があふれるくらい聞いて聞いて聞き流すのも良いかもしれない.友人とゆったりと物理を話し込むのも良いかもしれない.古い友人にも会うつもりだ.会ったらすぐに研究の話だろうが、それでも、フランスに持って来た自分の体に染み入るような貴重な経験をするには、やはり、日本で時々思い出す古い友人の顔に直接会うことが効果的だろう.

頭をリセットしよう.で、パリの街に出発.会場のパリ天文台まで、徒歩5分の所にホテルをとってしまって、失敗した.もっと長い距離にしておくべきだった.歩くという行為は、研究の時間である.

 

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Supersolid. 超固体。

Monday, May 23rd, 2011

「超」がつくものは凄いに決まっている.理研のプレスリリースをtwitterで知ったのは、もう一ヶ月ほど前になる.そこには「超固体」の文字が踊っていた.理研の河野低温物理研究室.「超固体は存在する

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で、早速河野さんにセミナーをお願いしたところ、快諾してくださった.今日の午後、河野さんを囲んで研究室セミナーが始まった.QCDの様々な相を研究している人間にとって、物性で出現する奇特な相のことを学んでおいて損は無いはず.そういう、かなり軽い興味から入ったのだが、そう、興味なんて軽いところからでいいのだ.超、がつくものは、超弦理論からなんから全部知っておきたい、そんなミーハーな興味でもいいのだ.

超固体という概念は、1970年にA.J.Leggett(2003年ノーベル物理学賞)が考えたものらしい.彼の論文”Can a Solid Be Superfluid?” がその論文の新奇さを物語る.レゲットの予言から40年、その実験的存在に決着がつきつつある.固体なのに超流動成分を持つ、超固体.その正体は未だ未解明だ.河野さんのグループの研究が、実験的決着をつけるのだろうか?...それにしても、理研研究本館一階に、そんな超固体を目指してあんな速さで検出器ごとぐるぐる回っている装置があるとは!

今日は、「超」がつく物理現象を、また一つ学んだ.次は?

 

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